薬剤師である私は、患者さんから「どのくらいまで数値を下げれば良いのか?」と聞かれることがよくあります。多くの患者さんが、糖尿病の診断の基準値であるHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)6.5%を目指すべきだと思っています。
実際には、「血糖値を厳格に管理することで死亡率が減る」ことは証明されていません。逆に糖尿病の重症度によっては、6.5%を目指すと死亡率が上がってしまうというデータもあります。
つまり厳格に血糖値を下げようとすると、危険な場合もあるのです。また血糖値を下げるスピードも重要です。急に血糖値を下げすぎると、網膜症、腎症を悪化させてしまうというデータもあります。
私は、ケースバイケースで、目指すべき血糖値の目標値が違うということを患者さんにお伝えしています。つまり目標値は、患者さんごとに異なります。
今回は、どの程度の目標値を目指すべきなのかについて、説明していきます。
糖尿病の診断基準HbA1c6.5%未満を目標値としない理由
糖尿病型の診断基準が、HbA1c6.5%以上のため、多くの患者さんが HbA1c6.5%未満を治療の目標値だと思っています。しかし実際には、医師は6.5%を目指してくれとは全ての患者さんには言いません。
糖尿病の基準値が6.5%なのに、なぜ治療の目標値は6.5%ではないでしょうか?これには理由が2つあります。
理由1:厳格な血糖値コントロールで死亡率が上がってしまうため
糖尿病の治療の目標が、全員一律に6.5%になっていない理由は、「厳格に血糖値をコントロールした結果、死亡率が上がってしまう」ことがわかっているからです。
多くの患者さんが、血糖値を下げると下げること長生きできると思っています。実際に一昔前は、多くの医師も血糖値を下げれば下げるほど寿命が延びると考えていました。しかしその考えを覆す、非常に大規模な臨床試験結果が発表されたのです。
長期間糖尿病にかかっている患者に対して、血糖値を厳しくコントロールすることにより、心臓の病気のリスクを減らすことができるかどうかを検証する目的で、ACCORD試験、VADT試験の二つの大規模な臨床試験が行われました。
〈事例1:ACCORD試験〉
ACORD試験10251例で目標をHbA1c6.0%未満とした、非常に大規模な臨床試験です。インスリンを中心として、他の薬を併用した治療法が行われました。
その結果は、強化療法をした患者で HbA1c が6.4%、従来の治療法を行った患者で HbA1c が7.4%とHbA1c は強化療法を行った患者で、明らかに改善しました。
しかし強化療法を行った患者では、死亡率が22%も増加してしまったのです。その結果、強化療法は、途中で中止せざるを得ませんでした。強化療法を行った患者では、重篤な低血糖を起こした患者が16.2%、体重が10キロ以上増えてしまった患者が27.8%も出てしまいました。
〈事例2:VANT試験〉
VANT試験は1791例で目標を HbA1c6%未満とした大規模臨床試験です。インスリンと内服の血糖降下薬で治療が行われました。
その結果は、強化療法を行った患者で、死亡率が7%増加してしまいました。こちらの試験の結果でも、強化療法を行った患者の21.1%に重症の低血糖が発生し、平均体重は8.2キロも増はしていることがわかりました。
この2つの大規模試験により、HbA1c のみに注目してインスリンや内服薬を多く使いすぎると、低血糖を起こしたり、体重を増加したりして、血糖値は下がるが、死亡率を増加させてしまう可能性があることがわかったのです。
原因としては、低血糖を起こすと交感神経が緊張して、致死的な不整脈や急性冠症候群を引き起こすこと、また肥満により、動脈硬化が進んでしまことが考えられています。これらの原因が相まって、死亡率が増加したと思われます。
つまり薬によって無理やり血糖値を急激に下げることは、死亡率を増加させてしまいます。そのため医師は、患者の糖尿病の症状や生活習慣などを判断した上で、その患者に合った目標値を設定するのです。
理由2:急激な血糖値コントロールは糖尿病網膜症を悪化させてしまうから
薬をたくさん使用して、血糖値を急激に下げてはいけない2つ目の理由は、急激な血糖値のコントロールによって、糖尿病網膜症が急速に進行してしまうことが以前から分かっているからです。
特に、すでに進行している網膜症や、糖尿病になってから期間が長い場合、3年以上の長期にわたって血糖コントロールが不良だった場合などでは、糖尿病網膜症を急激に悪化させてしまうケースが多いです。
そのため、血糖値が高い場合でも、急激に血糖値を下げることは危険です。1ヶ月間に HbA1cを0.5%ずつ徐々に下げていくことが必要です。
私の薬局に来局していた患者さんの中にも、HbA1c が11.8%から8.1%に下がって喜んでいた方がいましたが、糖尿病網膜症が急激に進行してしまいました。
この方は、運送業の運転手の方で、長時間運転をするため、食事の時間が不規則であり、長時間にわたって食事が取れないことが多々ありました。そのために低血糖を頻繁に起こしていたことがわかりました。
このように、医師は血糖値を下げていくスピードも考えて薬を処方しています。そのため各々のケースで、目標とする血糖値の値が異なることになります。糖尿病の症状の重症度、糖尿病になってからの期間、合併症の有無、年齢などによって目標とする血糖値が異なってきます。
ここで、自分の血糖値の目標値がどのくらいが適当であるのかを知りたい方も多いかと思います。そのため、ここで日本糖尿病学会が推奨している血糖値の目標値について説明しようと思います。
日本糖尿病学会による血糖コントロールの目標値
前述したように、血糖コントロールも目標値は、患者の年齢、想定余命、合併症の有無などを考慮して患者ごとに個別に決めることが前提となっています。ここでは、日本糖尿病学会から発表されている「糖尿病治療ガイド」で推奨されている血糖コントロール目標について説明していきます。
このガイドラインでは、目標値の個別化や低血糖の回避を考慮して、一般成人の糖尿病患者の目標値を患者の状態によって3段階に分けています。
目標1:血糖の正常化を目指す際の目標 6.0%未満
糖尿病の患者の中でも、比較的軽症な方が目指すべき目標です。 HbA1c6.0%未満を目標値とします。
どのような患者が対象かというと、食事療法や運動療法だけで6.0%を達成できる場合、もしくは薬は飲んで治療していても、低血糖などの副作用を起こすことなく達成できる場合の目標値となります。
ポイントは低血糖を起こすかどうかです。糖尿病の中でも軽症の場合は、はじめに運動療法や食事療法が医師からすすめられます。運動療法や食事療法によって改善できる場合は、低血糖を起こすことが少ないため、 HbA1c6.0%という低い値が目標値となります。
また薬を服用している場合でも、低血糖を起こしにくいタイプの薬のみで治療している場合は、低血糖のリスクが低いため、HbA1c6.0%という低い値を目標とするとか可能となります。
目標2:合併症予防のための目標 7.0%未満
糖尿病治療の目的は、細小血管症(網膜症、腎症、神経障害)や大血管症(動脈硬化性疾患、心血管疾患)などの糖尿病合併症の発症や進展を防止することで、患者の日常生活の質を維持し、健康寿命確保することです。そのための血糖値のコントロール目標としては、一般的に HbA1c7.0%未満が推奨されています。
なぜ7.0%かというと、日本人の2型糖尿病患者112人を対象にした試験で、血糖コントロールを厳格にするほど、網膜症や腎症の進行が抑えられることが明らかになったからです。
しかし HbA1c は7.0%未満にコントロールしても、それ以上のリスク低下はほとんどありませんでした。むしろ急激に下げることにより、網膜症や神経障害が悪化してしまうことが報告されました。
大血管障害についても、UKPDS試験、ACCORD試験などの大規模臨床試験から、HbA1c7.0%以下と従来コントロール群で、血糖を厳格にコントロールしてもリスクの低下が15%をしかないことがわかりました。
さらに死亡率に関しては、ACCORD試験により厳格に血糖値をコントロールしすぎると死亡率が有意に増加することがわかりました。
このような試験結果が出てきた結果、糖尿病の治療の目標が合併症の予防にあることを考え、7.0%未満に設定することになったのです。無理やり6.0%未満に設定しても、低血糖のリスクが高くなり、死亡率も上がってしまうからです。
目標3:治療強化が困難な際の目標 8.0%未満
3つ目の目標値は HbA1c8.0%未満です。
年齢や病気になってからの期間、臓器の障害、低血糖の危険性などを考えた結果、治療を強化することが難しいケースは HbA1c8.0%未満を目標値とします。
以上のように糖尿病の治療の目標値は、合併症のリスクを減らし、かつ低血糖の副作用をできるだけ避けることが目的となります。そのため患者ごとに目標値の個別化や低血糖の回避が非常に重要視されているのです。
高齢者(70歳以上)の患者の目標値 下限7.4%
さらに付け加えておきたいこととして、高齢者の血糖コントロールの目標値について説明します。
高齢者では、夜間の無自覚製低血糖を避けるためにも、低い目標値は危険なことがあります。そのため、日本糖尿病学会のガイドラインでは HbA1c7.4%未満を高齢者の治療目標にするべきであると記載されています。
また、アメリカ糖尿病協会(ADA)、ヨーロッパ糖尿病協会(EASD)は共同声明で高齢者向けの目標値を7.5~8.0%と発表しています。
さらに、米国老年医学会では、健康な高齢者では7.0~7.5%、中等度の併発疾患がある推定余命10年未満の場合は7.5~8.0%、併発疾患がたくさんあり推定余命がさらに短い場合は8.0~9.0%を推奨しています。
2012年の平均年齢80歳の糖尿病患者の臨床試験の結果では、HbA1c8.0~%が最も死亡リスクが低かったというデータも出ています。(米国老年医学会雑誌)
以上のように、各国の様々なデータを基にして考えると、70歳以上の高齢者では HbA1c の目標値の下限値として7.0%を設定することが大切です。
ここまで述べてきたように、糖尿病治療の HbA1c の目標値は、一律に糖尿病型の基準値である6.5%未満ではありません。医師は糖尿病の重症度、副作用である低血糖の発症リスク、糖尿病の罹患期間、併発疾患の有無、推定余命などを考慮した上で目標値を決めているのです。